2010-08-03

2010 日月会建築賞


7月まっただ中の夏休み前の母校・武蔵野美術大学に、審査員として招集をかけられ行って参りました。去年から、OBOG会である『日月会』主宰で、3年生の希望者を対象に課題を審査して与える賞を設けています。貴重な休みの日ではありましたが、私達OBOGも少しは何かのお役に立てるならばと引き受けました(わざわざ赤子を連れて一緒について来てくれた夫に感謝)。

久々に来た大学は新しい建物が幾つも建っていて、芦原義信色がだいぶ薄まってはいましたけれど、やっぱり懐かしさはひとしおです。とりわけ好きだった油画棟(グラウンドレベルのピロティから螺旋階段で上がると小さなアトリエというユニットがたくさん寄り集まっている設計)が使いづらさと、延べ床がほとんど無い(共用部90%?笑)という理由で取り壊されるなんていう噂を聞いていましたが、綺麗にクリーニングされて残っていてほっとしました。
ちょうどこの夏には藤本壮介氏設計の図書館も竣工し、こんな片田舎なのに(小平市の皆さまごめんなさい)さながら建築ビエンナーレのようです。建築学科のある大学ってそこの教授連がこぞって設計するからどこもそうなるのですけど。

さて、3年生って、どんな時期だろう。一般教養の単位は取り終わって、設計に本腰を入れ始めてすぐかな。人によってはもう『建築向いてないかもー』と気づき始める時期でもあるし、これから建築が面白くなる時期でもある。いよいよ自分の力が試されてくるのでドキドキして武者ぶるい、そんなところでしょうか。

今回エントリーしてきた学生は20名ほど。課題はゼミの授業で出されたものなので、学生が所属するゼミによって違います。審査員も出されたのがどの課題の作品なのか、資料と首っ引きで確認しなければなりません。しかし、それぞれの作品の脇に学生が自ら立ってプレゼンしてくれたので、思ったより混乱することはありませんでした。

「それではプレゼンを始めてよろしいでしょうか?」
そんな一声を審査員に掛けて引きつけてからだいたい3分ぐらいで発表していきます。その内容はしっかりしていて私達の時代よりも喋るの上手い。私達の頃は、あがってしっちゃかめっちゃかだったり、詩を朗読したり、旅行の土産話を延々しはじめたり、とにかく講評は時間がかかってかかって仕方がなかったものです。あとで教授に聞いたら「訓練させたんですよ〜」と苦労を忍ばせるような口ぶりでした。すでに一度、授業内で課題発表を済ませているのでうまくまとめられているというのもあるのでしょう。それでも受け答えからもコミュニケーション能力が平均的に高いように感じましたし、なんだかお施主さんになって乗せられた気分になることさえありました。
えーーっと、たしか、この子達はゆとり世代まっただ中ですよね。その影響と考えると面白いですね。

ざっくりと幾つか写真でご紹介したいと思います。

『流動性と停滞性』


天井から無数に糸を垂らした机で作業をし、身体に当たった糸を切ったりなどして自分の挙動をノーテーションする。そのパターンを都市における公共スペース(公園、通り道、休息場)に落とし込んだ作品。映像も使ったりしていて、意欲的でした。



『場所と物とそれを見ているボク』

写真。ミクストメディア。撮った場所で収集した物を樹脂で閉じこめた作品。こういった現代美術のような作品も受けいられるのがムサ美らしさ。



『現代に残る「人間の生物的本能」に因った境界線』

立川市の奇妙に延びた境界線に地図で気付き、その要因や成り立ちを追った考察。NHKの『ぶらタモリ』を文字で読んでいるかのような作品。「欲しいわ〜」としつこくおねだりしたら、本当に貴重な1冊を頂けちゃいました。



『Urban + Nature House』


女子学生2人の共同製作。樹形から連想される柱を幾つもモデル化したり、木漏れ日をトップライトに反映させるパターンを研究したりと、大作でした。審査でも高い評価でした。

大賞、準大賞(それぞれ太陽賞、満月賞、三日月賞・・・と、日月にちなんだ名が付けられています)の写真がここにないのが残念ですが(時間がなく終了間際に数枚撮れたのみでした)、若さを感じるいい作品が賞を獲れたと思います。

後日、日月会のHPに受賞作品が載ると思いますので、こちらをご覧下さい。

日月会ブログ『日進月歩』
http://nichigetsukai.com/blog/

審査を終えての感想。ピュアな学生の感性に触れて充実した時間になりました。審査後の、学生との飲み会も楽しく、このような機会を与えて下さった日月会に感謝しております。
作品は(まだ3年生だし?)オリジナルを知らずに名作そっくりな物を出してきたり、スケール(人や街に対して小さすぎたり大きすぎたり)は校内のリアル建築を体感してもっと考えようよ、とかありますけれど、それもこれも若さゆえと思うと、初々しいとしか言いようがないのでした。若者と日々ふれ合える先生がちょっと羨ましくもありました。