2009-03-28

ニカラグア Nicaragua




更新を怠けてしまい、今頃にはなりましたが、コロンビア、コスタリカに続いて旅したニカラグアを紹介します。

観光地でもなく、資源が豊かなわけでもなく、中南米でパッとしないニカラグアに寄ったのは、夫のフランス人の友人が援助活動で数年間滞在しているので訪ねてみようということからでした。彼はニカラグアに安全な飲料水のインフラを設けるために派遣されたエンジニアです。

海外に出て思うのは、こういうタフなボランティア(に近いこと)を発展途上国で活動しているヨーロッパの若者に多く会うということです。私の元同級生のフランス人もアフリカで小学校を建設するNGOに関わり、いまやそういう活動を取り仕切るまでになっています。きっかけはエキゾチックな文化に対する冒険心や好奇心や、大学は出たものの失業率の高いこと、援助活動がキャリアアップに繋がることなど、様々な事情があるでしょう。
日本人も少なくはないとは思いますが、身近にごろごろいる、とは言えません。これから、緩やかに縮小していくほかない日本を、こんなふうに脱出する若者が増えるでしょうか。






貧しい国という印象しか無く多くを期待していなかったニカラグアなのですが、しかし実際一番心を強くとらえたのはこの国でした。まず歴史に圧倒されました。一言で言うなれば「運に見放された受難の国」。どの国だって浮き沈みがあると思います。ところがニカラグアは、とことん沈むのみ。まずスペインから独立した途端に内部紛争。それが収束したかと思ったら差別主義者のアメリカ人による独裁。それをやっと打倒したものの安定せず、諦めずに仕掛けてきたアメリカと戦争に。その時ニカラグアから立ち上がったサンディーノ将軍は農民出身の愛国者でしたが、最後はアメリカ側についた司令官ソモスのだまし討ちに遭い殺害されてしまいます。それから40年以上にわたって、アメリカの庇護の下にソモス一族は民衆を圧制する独裁政権を打ち立てるのです。その間サンディーノの遺志はゲリラに引き継がれ、長い長い闘いの末に1979年に革命が成就します。しかしその後もアメリカやソ連の思惑に振り回され権力者による粛正もあり、経済は停滞し疲弊しきってしまいます。今もその後遺症はひどく、貧しいままの国です。
隣国のコスタリカが、軍事政権でありながら民主的な政策で国を発展させてきたことと比較すると、国境一本で光と影に分断されたまるで韓国と北朝鮮のようです。国民の多くはコスタリカへ出稼ぎに出ています。長くなりましたが、辛く重く怒りに満ちた歴史も静かな過去になりつつある今、少しずつでも国民の生活が前進して欲しいと心から願います。



首都マナグアを一望する丘の上。トレードマークのカウボーイハットを被ったサンディーニのシルエットが夕景に浮かびます。


首都マナグアは72年の大地震による壊滅的被害を受け、いまだ復興したとは言えずあまり見るべきものはありません。私たちは古都レオンへ向かいました。レオンにはスペイン・コロニアル建築の町並みや教会が残ります。19世紀初頭に大学が建設されただけに知的な雰囲気があり、私たちは美術・音楽学校(といっても博物館の一部を間借りした実に質素な環境)も覗きました。












コスタリカもでしたが、ファサードの建物をくぐると奥に幾つもパティオがあります。静かで風の通るパティオは熱い日差しを和らげるために木々に囲まれとても気持ちがよいのです。










ニカラグアの石像。モティーフはワニや蛇などの自然界から、悪魔や人間など神話的なものまであります。日本人の私には一見しても何を形作っているのか分からないのですが、タイトルと見比べてると、なるほど、こういう視点もあるのだと、大きく力強い造形に一つ一つ魅入ってしまいました。







レオン近くのカルデラ湖(火山の火口の淡水湖)の一つ。どこまでも青い色に吸い込まれそうになります。湖畔には海水浴場があり、さっそく私たちも泳いだり日光浴したりカヌーイングしたり。そのうち、マナグアに住む他の友人達も合流し大騒ぎに。





ここThe Monkey Hutは湖のベスト・ロケーションにある長期滞在ホテルで、知る人ぞ知る隠れたリゾート・スポットです。しかし経営は外から来た白人だそうです。「ニカラグア人にビジネス・アイディアがあったならば・・・。いいところは全て外国人に持って行かれてしまうのだな。」と、ニカラグアの歴史と重ねて複雑な気持ちになりました。


そんなニカラグアでとっておきの特産物を見つけました。焼き物です。連れて行ってもらった場所がそうだったのか定かではないのですが、マナグア近くのサンフォン・オリエンテ村が有名なようです。




上薬を塗った壺に小枝か何かでひっかいて模様や絵を乗せたあとに焼くシンプルな技法ですが、その絵柄がとても個性的で面白く、また造形もユーモラスで、いっぺんに気に入りました。粗雑なデザインの土産物もありましたが、地元アーティストが作っているものは美術的価値も高く、そういう作品を抱えた店を探すのがコツです。大きいものが欲しかったのですが、トランクのスペースの都合で中ぐらいの花瓶を買い求めました。お値段は1000円ぐらいから。次回は大きなトランクをもう一つ持って行きたいですね。バイヤーに転身しようかと考えたぐらいです。



2009-03-25

セオリー『新・土地のグランプリ』


3月25日発売の講談社セオリー『新・土地のグランプリ』にインタビュー記事が載りました。ご笑覧下さい。本誌24P〜25Pの2ページにわたり、実家のある品川区の池田山についてお話ししました。付近のセキュリティや、ハロウィンなどの行事、曾祖父が西武の堤康次郎氏から土地を買った経緯などなど。

しかし近年、相続などで、趣のある建築が壊され土地が次々と細分化されていくことを嘆いた部分はバッサリと切られてしまいましたね。


2009-01-27

コロンビア Columbia




コロンビア人の友人の結婚式に出席するために訪れたボゴタ。コロンビアの首都。ガルシア・マルケス『百年の孤独』の中で、
”石だたみの狭い通りに三十二カ所の教会の弔いの鐘の音が鳴りわたる、陰気くさい町”と描かれた町。ボゴタは高地なので、一年中秋のように涼しい。また、スモッグが激しくオイルの不純物がまき散らすガソリン臭さに、私はマスクが手放せませんでした。

しかし、式場はボゴタから車で1時間ぐらいの郊外。素晴らしい景色の中、晴れやかに厳かに進みました。お幸せに!










ボゴタには国民的建築家ロヘリオ・サルモナの建築にあふれています。ブラジルのオスカー・ニーマイヤー、フィンランドのアールト、日本の丹下。国の黎明期に国家プロジェクトに関わった建築家はあまたいます。 彼の手がけたランドスケープや集合住宅、大学などを2日かけて回り、もうへとへとでした。。。 煉瓦の使い方の繊細さと、水との調和。一本貫かれた美学は、どの建築家とも違いました。実は去年、天寿を全うされました。コロンビアの建築が彼の呪縛から解き放たれ、新しい建築が生まれるのはこれから。


















新年を、友人の別荘のあるビジャ・デ・レイバで迎えました。ボゴタから車で4,5時間でした。日本でいえば軽井沢でしょうか。ハリウッドのロケも来るのは、そこに植民地時代のスペイン領都市の町並みが残っているからです。






そんな場所にある友人の別荘からの眺めも絶景です。花が咲き乱れ、果樹園もあります。




その果樹園で取れるのが、このヘイホア。別名、グアバ・パイナップル。つまり、グアバとパイナップルを足して二で割ったような・・・でもリンゴっぽいところもあるし、何とも表現しにくい摩訶不思議なお味です。この果物は、皮をがぶりとそのまま食べるのですが特筆すべきなのは、皮にある芳香です。花のような香りです。 カフェでは、こんな風にジュースでも飲めます。日本に帰国して残念なのは、もう、ヘイホアが手に入らないこと。。。